「魅力度最下位?だからこそ刺さる」東京観光で見つける茨城の名石 石屋視点で歩く“稲田石・真壁石”の都心物語
先日、お墓の相談の帰り際にこんな会話がありました。
お客様「茨城県は魅力度最下位だけど、有名な石ありますよね。」
私 「あー、稲田石と真壁石ですね。」
よくあるお客様との会話ですがふと探究心がわきました。
東京の一等地でしっかり使われてきた石がなぜそこまで選ばれ続けたのか。ちゃんと根拠を揃えて説明できるようにしたくて、改めて資料を追い直しました。
今回はその調べ直しをもとに、石屋目線で「稲田石と真壁石」をご紹介します。
東京駅の足元に
丸の内側に出て、駅前広場を歩くと、ひときわ白く光る石畳の帯に出会います。この白さに、稲田石が使われています。
稲田石は、「約6000万年前」にできた花崗岩で、その白さから「白い貴婦人」と呼ばれる石です。江戸時代から使われていたものの、稲田地区で本格的な採石・加工が始まったのは明治22年鍋島彦七郎さんによって始まりました。
この白さは、墓石としては清潔感や格につながり、建築材としては都市景観の中で品よくみえます。
霞ヶ関で、稲田石の「仕上げのグラデーション」を見る
次に霞ヶ関へ。最高裁判所の建物を前にすると、稲田石は白くきれいな御影という印象だけではなくなります。見学用の資料には、外壁から建物内部へ続く石張りの壁に「茨城県稲田産の花崗岩(通称稲田みかげ)が使われ、外壁は割肌を生かした凸凹、内部に進むにつれて平滑で細かな仕上げへ移る」といった説明が載っています。
石の種類は同じで、仕上げで印象が変わります。
外は硬い顔、内は静かな顔。石材の見せ方が、そのまま建築の象徴となっています。
日本橋で「稲田」と「真壁」が同じ舞台に立つ
ここでいよいよ、日本橋へ。
この橋が面白いのは、同じ国産の花崗岩でも、部位ごとに役割を割り振っているところです。
日本橋(明治44年竣工)の説明として「橋脚と橋台は山口県産の名石、側面は真壁石、アーチ部分と道路の表面は稲田石」と、使い分けがはっきりしています。
車が通り、摩耗や汚れの条件が厳しい道路の表面に稲田石。
象徴としての面積が大きく、橋の印象を決める側面に真壁石。
この設計判断は、石の物性だけでなく、当時すでに「供給の安定」と「仕上げの確実さ」が両産地に見込まれていたことを表しています。
日本橋の側面と路面
「稲田石が都心に増える」決定打は、石そのものより運べる仕組みだった
明治以降、稲田石が首都圏で存在感を増していく経緯は、稲田石は良い石があったから売れただけではなく、良い石を大量に運べるようにした人がいたから広がりました。
明治29年(1896年)に東京の石材問屋・鍋島彦七郎が稲田石の開発に着手し、採石場から水戸線沿線まで約2kmのトロッコ軌道を整備したこと、さらに稲田駅用地を日本鉄道に寄付して翌年(1897年)に稲田駅が開業しました。
首都圏に近く、大物が安定供給でき、それに加え美しい白で大型建築に都合が良かったのです。
三井本館で「稲田産花崗岩」が“建築の格”になる
日本橋から歩いて数分。三井本館を見上げると、石はもはや建材というより、建築そのものです。
三井本館の外装仕上げは「茨城県稲田産花崗岩積」です。
22本のコリンシャン丸柱が並ぶ外観に稲田の白が光る。単に白いだけなら、他の素材でも代用はできたかもしれません。しかし「磨きと割肌仕上げの表情」「長い年月に耐える前提」が、金融と商業の街の信用の演出に直結した。だから石が選ばれ、石が街の空気を作る側になったのだと思います。

兜町で「最高級の稲田石」という言い切りに出会う
もう少し東へ。兜町の東京証券取引所ビル周辺に行くと、石の重厚感はさらに分かりやすくなります。平和不動産の歴史ページで、「1982年着工、1988年に全館竣工した新東京証券取引所ビルについて地上15階建、最高級の稲田石を使用した重厚な石壁」と表現しています。
金融街の中心で、石を“最高級”と呼び、石壁を“重厚”と評する。その言葉の選び方自体が、稲田石が都市の象徴として扱われている証拠にも見えます。

では、真壁石はどうやって「任せられる石」になったのか
真壁石は、稲田石と同じ茨城の石でありながら、育ち方が少し違います。
稲田石が日本一と称される白さと物流で都心の舞台に上がっていったなら、真壁石は石の町としての層の厚さが、そのまま力になったタイプです。
鎌倉初期から室町・戦国期にかけての古碑、五輪塔、仏石なども数多く残され、この時期が真壁・大和一帯における石材業の始まりとされています。
桜川市の観光案内では「真壁石燈籠は江戸時代末期に久保田吉兵衛を祖として始まり、厳しい弟子相伝で伝えられ、平成7年に国の伝統的工芸品に指定された」と紹介されています。切り出しから仕上げまで18の技法がある、という説明もあります。
石を仕上げる文化が地域に根づいているということが、墓石のように「見た目の整い」と「細部の精度」を問われる仕事で、真壁が強い理由のひとつになります。
また昭和40年代には造園ブームがおこり、真壁石燈籠が多く建てられました。それに伴い一気に真壁石の需要が増えていきました。

迎賓館赤坂離宮に真壁石が入ると、産地の格が一段上がる
真壁石が“全国区の石”として語られるとき、迎賓館赤坂離宮は避けて通れません。明治42年(1909)、東宮御所(次期天皇・皇太子の御所)として建築された現在赤坂離宮は真壁石をふんだんに使い今の値段で約1000億円をかけて建てられました。
こういう国家的な建築に入ると、石は一気に「選ばれた理由」を持つようになります。優美さ、堅牢さ、そして安定供給。それらが揃っていないと、そもそも候補に残りにくいためです。

お墓で稲田石と真壁石が選ばれ続ける理由は、きれいさだけでは終わらない
稲田石は白くてきれいな石でお墓の外柵に多く使われてきました。真壁石は目が細かく、字彫りの文字が際立つためお墓のお石塔に使われてきました。
墓石の話になると、多くの人は色や石目の好みから入ります。もちろん、それも大切です。ただ雨風にさらされる外で見た目を維持する性能も持っています。
稲田石の物性データは、見掛比重2.63、吸水率0.22%、圧縮強度167.48N/mm²といった数値が示されています。吸水率0.2%代というのは白の花崗岩の中で少し低い値に位置します。
吸水率が低い石は、雨だれ汚れや凍害などのトラブルを呼び込みにくい。磨きのツヤも長く残りやすい。笠間市の説明でも、稲田石は美しい光沢と耐久性を兼ね備え、時間による劣化が少ないです。
一方の真壁石(真壁小目)も、物性データとして「見掛比重2.638、吸水率0.233%、圧縮強度120.00N/mm²」が示されています。
さらに墓石向けの評価として、真壁小目は「飽きのこない表情」「変色やキズが出にくい品質」、そして何より「豊富な産出量に支えられた品質の安定性」が強みです。

真壁石の石塔
真壁石で建てた方はみな綺麗だとおっしゃいます
2024年、稲田石と真壁石が「ヘリテージストーン」として言葉を得た
最後に、最近の話を少しだけ。
筑波山地域ジオパークの「筑波山塊の花崗岩」がIUGS Heritage Stone(天然石材遺産)に認定されました。
これらの中には、マドリード王宮(スペイン)、タージマハル(インド)や月のピラミッド(メキシコ)など、世界遺産に認定された建造物で用いられている石材も多く含まれます。
その石材は産地にちなんで「真壁石」「稲田石」と呼ばれる、とつくば市の発信で明記されています。
この認定が明日から墓石の売れ行きを変えるわけではありません。ただ、施主さんに「この石が、どんな土地で、どんな歴史の中で選ばれてきたか」を説明するときに話しの種が増えました。石に公的なお墨付きが付くのは、素晴らしいことだと思います。
結び
稲田石と真壁石は、どちらも「ただ硬い」「ただきれい」だから残った石ではありません。
稲田石は、白さと規模と輸送の仕組みで都心へ届き、最高裁や東京駅前広場、三井本館のような舞台で実績を重ねて、信頼を石の中に染み込ませていった。
真壁石は、石匠の町としての厚みを持ち、迎賓館の外壁のような象徴的な仕事で格を上げ、品質の安定と目の細かい美しさで墓石の世界でも定番になっていった。
もし次に都心を歩く機会があったら、看板より先に「足元」と「外壁」を見てみてください。
東京駅前の白い帯、日本橋の側面と路面の境目、霞ヶ関で仕上げが変わっていく壁。そこに、稲田と真壁の明治からの歴史が残っています。
三井本館の列柱と外装Kakidai – 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=73189800による
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